日常生活を営んでいて、ふと疑問に思ったり、謎だと感じてしまうことに遭遇する。例えば、凄く危険な運転をしている人が行儀よくシートベルトを装着していたり、お金がないと言いながら高い服を購入しSNSにアップする人がいたり。「ん?それって変じゃない??」と思う事案は生活している中で結構な頻度で発生する。
その中でも「オッサン(OS)なのかオバハン(OB)なのかどっちなのか鑑別が難しい問題」に関しては、「地球と宇宙に関する謎」のような永遠のテーマ感があると勝手ながら思っている。
私は大学時代、電車を利用して通学していたことがある。公共交通機関を利用する人は当たり前であるが私だけではなく、また大学生だけというわけでもなく、老若男女問わず誰もが利用する移動手段なのである。しかし、男女ということに関して、私はたまに自らの理解の範疇を超越した人物に遭ってしまう事がある。それが「オッサンかオバハンなのかよく分からない人」なのだ。
まず、この絵をご覧になっていただきたい。
これは見方によってはうら若い女性の横顔にも見えるが、虚ろな目をしている老婆のようにも見えるという有名なだまし絵である。
私は前述したような件の鑑別困難の人物を見ると、この絵を思い出す。そしてこう考える。「見方や角度を変えるとどちらか判別できるのでは?」と。
しかし、結果は変わらないのだ。なぜなら、
「だましている当の本人はだます気など更々ない」
からなのである。至極真っ当な考えである。確かに、彼らは、いや、彼女らは(このような際にはどう表現するべきかも判断できずに困る)普通の生活を営んでいるだけであって、頭を抱えて苦悩して発狂寸前なのは他でもない私個人なのだ。
また、一度この事案に対して試みたことがある。それは、「声を聞いて判断する」という鑑別方法である。そう、自分自身の聴覚を頼りにオッサンかオバハンを判別するのだ。
ちょうど電車内で隣にいる友人に話しかける様子だったそのオッバン(以降はこの名称で述べていく)の声に耳を傾ける。そして自分の聴覚に全神経を集中させる。
男性にしては高い、女性にしては低い声だった。私は余計にわからなくなり、更に混乱した。そもそも人間が物事を判断するうえで、一番必要だといわれている視覚で迷いが生じている時点で私の判断力は白旗を上げているのも同然なのである。私はその時に悟った。
「男か女かを判断するのは周囲ではなく、彼、あるいは彼女自身なのだ。」と。
しかしながら私にはいまだに「どっちなのか知りたい」という欲求が頭をもたげる時がある。
オッサンオバハン鑑別法の完成は、地球と宇宙の謎の究明以上に困難なものなのかもしれない。