出不精男の日常と襲撃

日々の出来事を淡々と。

がんばれ刈り上げきらきら道中~僕がダンサーになった理由~。

梅雨ということも露知らず、という駄洒落でも言いたくなる快晴の5月某日。その日、実習先への諸費用の支払いの為に、私は階段付近に佇んでいた。さっさと支払いを済ませて帰宅したいところであったが、支払い担当の職員さんが業務中ということで、しばらくの間待つという事になっていた。

階段付近には私だけでなく、何やらブンブン羽音をたてる虫が先客としているらしく、又、その羽虫は何を根拠にそんな自信満々な羽の擦れる音を立てているのかと言いたくなる程のボリュームで盛大に飛び回っていた。

暫しその様子を観察していた私は、季節外れの暑さというのを思い出し、羽虫の事を忘却の彼方へ追いやり、熱気に喘いでいた。

つい先程、床屋で刈り上げてもらった側頭部から、汗がノンストップで滴り落ちている事に気が付き、汗かきはいろいろと損な部分が多いよなぁと独りごちて思考に耽っていると、何やら耳慣れた音がどんどん近づいてくる。

 

 

 

 

 

ブウンブウウウウウン

 

 

さっきまで遠くの窓にぶつかりながら飛び狂っていた羽虫が、私の右肩に着地アプローチを試みていたのである。

 

 

あ"あ"あ"あああっっっ!!

 

 

 

ウッ♪マンボ♪と言いたくなる程の野太い声を張り上げた私は、しかしそれどころではなく、オスプレイの如く右肩に着地せんとする羽虫もとい便所蠅を手で払い階段を猛然と駆け上がった。普通の便所蠅なら、というか普通の虫なら自分より体が大きな物体から手で払われるという威嚇行為を受けた際、防衛本能としてその物体には近づかないであろうという過信が私にはあった。しかし、その黒い彗星(便所蠅)は私の浅はかな予想に反して近づいてきたのである。しかも、忍者さながらの身の運びで、私を翻弄して楽しんでいる様子さえ窺えたのである。

私は階段の真ん中で、マイケル・ジャクソンのような身のこなしを体現した。

 

 

 

そう、階段の踊り場で、文字通り踊り狂ったのである。

 

 

 

躍動する体、飛び散る汗、誰もいない階段、窓外の青い空。

 

思いもよらず挙行されたダンスパーティに、私は一心不乱に、かつ、縦横無尽に手足をばたつかせていた。

 

失望の閾値。

信頼を失うことは本当に簡単な事だ。しかも、その失った信頼を再度取り戻すというのは非常に難しく、その上時間がかかる。

人を信じるとか、愛するということは当たり前ではあるが、大事な事だ。こういう話は、学校の授業とかでよく習う。これからの人生を見据えて、人間同士の信頼関係を学ぶのは良いことなんだと思う。

しかし、人間は生きていれば相手からの信頼を失うことはままあるし、逆も然り。

その時、どうしたらいいのかいつも迷う。特に、自分が尊敬していた相手から思いもよらぬ仕打ちを受けた場合、どう対処すればいいのか本当にわからない。この時点で、既に互いの関係には綻びが生じている。また、このケースでとても厄介なのが、「相手はその事に気付いていない」という点である。このままでは、自分の不信感と相手の鈍感さが相互に作用し、気持ちの乖離が出来上がってしまう。こうなってしまえば、後はどんどん疎遠になっていくのを待つのみ。

歳月を重ねる度に、自分がどんどん気難しい人間になっていく気がする。自分ではわかっているつもりだが、歯止めがきかない。その時初めて、心が傷付いていると気が付く。

もう少し相手に対して寛大になりたいと思う。自分さえ信じられなくなってしまう瞬間に遭遇しないために。

追憶のたこわさ。

どうもこんにちは、管理人です。

 

 

食あたり

昨日の夜に食べた海鮮丼で食あたりをおこしたようです。奥さんが張り切って作ってくれて美味しかったのですが、どうも胃がムカムカします。管理人は非常にヘタレなので、病院が怖くて怖くてたまりません。感染性とかだったら仕事とかに支障をきたすかもしれないから病院に行きなさい、と姉さん女房に言われて渋々行きました。しかし、病院の看護師さんが怖くて怖くて仕方なかったので、「病院こわい」と送ったところ、「ケ○に注射刺されてこい」と一言。我慢して点滴してもらって帰りました。食あたりってこわい。病院もこわい。

 

 

 海老蔵in my dream.

それは寝ている時の夢でした。

夢の中で、昔住んでいた実家にいました。そこはいつの間にか、「町家風居酒屋」になっており、店内にはホール担当の海老蔵氏が僕の注文を待っている状態でした。海老蔵氏というのは、あの有名な歌舞伎役者、市川海老蔵氏です。なぜ僕の実家を改造した町家風居酒屋に彼がいるのかはわかりませんでしたが、とにかく僕の注文を待っている様子だったので、とりあえず生ビールとたこわさを注文しました。海老蔵氏は「ああ、たこ、たこわさ?ね。ん?たこわさ?」と何故だかしどろもどろ。厨房へ戻った彼を見送り、しばらくすると海老蔵氏がお盆を持ってやってきます。

 

海老蔵氏「お待たせ致しました。たこわさでございます。」

 

僕「あ、どうもありがとうござ....ん?」

 

確かに彼はたこわさと生ビールを持ってきてくれています。しかし、件のたこわさは何故かホカホカの白飯の上に乗っかっており、僕の知っているたこわさではないのです。

 

僕「あ、あの」

 

海老蔵氏「はあ」

 

 

 

 

 

 

 

僕「これ、たこわさじゃなくて、たこわさ丼やんけ」

 

海老蔵「え?」

 

そこで夢は終了しました。なぜ夢に海老蔵氏が出現したのか、またなぜ彼はたこわさを丼にしたのか、知る由はありません。しかし、彼が最後に放った「え?」の時の表情は、今でもしっかりと記憶に残っています。今度夢に海老蔵氏が出てきたら、たこわさは丼ではないのだよ、と優しく諭してあげようと思います。

 

それじゃまた。

 

https://twitter.com/KamomeMovement?s=09

印象操作の箱。

人の印象というのは人為的にある程度操作が可能である。テレビはそのような操作が容易にできる代表例である。

今、世間を騒がせている国有地の取引問題。某財務局の職員が証人喚問を受けている中継動画は、その職員の表情、声のトーン、発汗、動揺の有無、発言の矛盾等を見逃さないように執拗に彼の顔を撮している。これはあくまでも私の主観的な推測に過ぎないが、昨日の中継を見て、そう感じずにはいられなかった。

国会議事堂のような独特の雰囲気を出す場所で、四面楚歌の状態で、平然とした表情をすることは、困難な事であることは火を見るより明らかだ。その職員の肩を持つ気など更々ない。しかし、あの報道はやりすぎなのではと思ったのが正直な感想である。

テレビという物は、カメラで映し出したその実体の他にも、撮る側の悪意や企みさえも意図せず反映させてしまう。

今回、テレビを見ながらふと思った。

何がそうさせてしまうのか。

こんばんは、管理人です。

 

小休止

現在、そんなところです。

僕にとっての実習とは紛れもなく「地獄」そのものであり、ストレスの象徴とでも言いましょうか、とにかく僕の身体または精神に著しい悪影響を及ぼす存在なのです。

この小休止期間も、うたた寝程度の感覚であっという間に過ぎ去って、また地獄へ直行してしまうのでしょう。ああ、やだな(笑)

 

現在

短い休息期間の中で、普段とは違うことをやってみたいと密かに思っています。旅行とか、なんかの大会に出るとかそんな大それたものではなく、「日常とは違うけど、そんな大したものではないこと」をやってみようかと思います。ものすごいフワフワした感じですが(笑)

 

考えること

先日、勤務先で軽い花見を行いました。花見といっても勤務時間中に外を散歩する程度で、文字通り「花を見る」だけでしたので、多少は物足りなさを感じましたが(笑)

そこで、ひとつ思い出したことがありました。

数年前のちょうど今頃、僕の実家の家族と今の奥さんと、花見に出掛けた事を思い出したのです。その時は勤めていた会社を突然辞めて、新しい環境に飛び込んだばかりで、不安を沢山抱えていたことを今でも覚えています。あれから現在、不安を感じることもありますが、当時よりは随分と精神的にも肉体的にも落ち着いたように感じられます。あと少し、目標に向かってただただ愚直に突き進みたいと思います。

 

考えることもうひとつ

人は、自分にとって嫌なことをされたり言われたりすると、「自分はそんな人間にならないようにしよう。」と考える生き物だと思う。でも、同じような境遇におかれた経験がある人が、同じような事を行ったりする場合がある。この現象は、虐待された人が、自身の子どもを虐待してしまうようなケースと類似している。

そして、そんな連中は意外と多い。彼女ら、あるいは彼らは、「自分はそんなになりたくない。」とは思わなかったのだろうか。もしかすると、「同じような苦しみを与えてやろう。」と思ったのだろうか。もし後者のような心境の人がいるのなら、僕には全く理解ができない。なんだかかわいそうな人だなと思う。反面教師とはよく言ったものである。今度は自分がそんなにならないようにと思う。

 

今年度

もうそろそろ終わりますね。4月から大きな環境の変化はないですが、初心は忘れないように、周りの人に感謝しながら日々過ごしていきたいです。来年度も頑張っていきましょう。

 

それじゃまた。

 

心の棘を越えて。

こんばんは、管理人です。

 

一段落

各論実習の数ある領域の中の一つの実習が終了しました。去年の暮れ辺りから始まった基礎実習から、一つずつ段階を経ながらこなしていっている感じがしますが、その段階をひとつ乗り越えるのに、非常にエネルギーが必要となるのが実習です。

要領が悪い僕にとって、毎日目まぐるしく変わる実習現場や、どんどん修正箇所を追加されていく記録書類は、自分の処理能力を易々と越えます。現場で蓄積された疲労感を引きずったまま朝まで寝ずにパソコンと向き合う、所謂「根津甚八状態 」(過去記事参照)となるのです。

しかし、その努力が必ず報われるわけではなく、期待していた評価が返ってくるものでもありません。それでもやらないよりはやった方がまし。という訳で、実習期間中は自分の背中に見えない鞭を打ちながら頑張っています。まだまだ実習は始まったばかりですが、少しずつ成長していけたらと、そう思います。

 

花粉症

最近酷いですね。僕も花粉症なんですが、花粉が飛びまくる時期に何故だか鼻毛をカットしてしまい、何もフィルターがない状態で鼻呼吸して、えらい目に遭っています(笑)あと、鼻の中におできみたいなのができて痛い。

 

刺さった棘

人間には何かショックな事が起こると、大なり小なり心に棘の様なものが突き刺さるイメージが僕にはある。

毎年この時期になるとニュース番組とかで取り上げられる。未曾有の大災害。

この災害で生まれた棘は、たくさんの人々に突き刺さっている。刺さった棘は取り去ることはできるのか。わからない。しかし、それをそのままにしておくことは、良いことでは絶対ないだろう。やがて棘は腐っていき、その人の心の中にまで侵食していき、完全に腐らせて殺してしまう。何とかしなければいけない。でも、何もできない。

何年経っても、同じ事を考えてそんな自分に苛立ちを覚える。

心の棘を越えるのは、その棘を取り去ることなのか。もしそうだとするならば、それはとても難しい。

ただ、この災害の事を忘れないようにはしている。それが少しでも心に深い傷を負った人たちや、犠牲になった人たちのためになるならば。

風化させてはいけない。忘れてはいけない。

どんくさい鳥。

車道で一羽の鳥が車に轢かれて死んでいた。

親から、車にはねられた動物を見たときには可哀想だと思ったり同情してはいけないと言われていたのを思い出した。

その理由はなんでなのかわからない。霊になったその動物が同情した人に憑いてくるとか、不吉なことが起こるとか言われてるけど、本当にそれが理由なんだろうか?

もしもそれが本当の理由だとすると、あまりにもこのご時世にしては非論理的な話だし、それならはねられた動物可哀想って思うのが普通やん、と思う。

そしてまたもしも実際にはねられた動物が憑いてきたとしたら、それくらい背負えるような人間になりたい。

 

僕はこれからも道で轢かれた動物を見たら、「痛かったやろなぁ」と小声で呟こうと思う。

それくらいしか出来ないけど、それくらいが出来るような人間であり続けたい。